中には「自分の人生が大切。ロカンの夢物語に付き合ってらんねー」という方もいらっしゃって・・・他人事ながら嬉しいと思ったりするヒカリタマ・カイです。
ところで。
「救済」というと、ワタシは浄土宗・浄土真宗の教えを連想します。
「念仏を唱えていたら阿弥陀様が救ってくれる」という絶対他力が浄土宗と浄土真宗なわけですが・・・。
実はある時点で「念仏を唱えている自分は阿弥陀様そのもの」という地点があるらしいですね。
そこに行き着けば、自力も他力もなく、阿弥陀様による救済という言葉もすべて超えて、ただ「自分」がある・・・ということらしいです。
というわけで、浄土宗や浄土真宗が唱えている「他力本願という救済」は「絶対者阿弥陀と迷える人間」という価値観だけでは語れない部分があります。
ところが、ザイクスのいう救済とは「絶対者ザイン(ザラス)と、絶対なるものではない一般ピープル」という超えられない壁があります。
ザインは永遠に救済するものであり、人間は永遠に救済されるものである・・・と。
ザインが「絶対なるもの」であり「永遠に救済するもの」であるための条件はなにかというと「救済する人間がいる」ということと「救済した人間から敬われる」という側面が必要になります。
救済されるものがいなくなれば、その時点で「救済者であるザイン」は必要なものでも絶対なものでもなくなります。
もし、ザインが絶対なるもので救済者であり続けるためには・・・僕となる人間を無知で哀れな、弱い存在にしておく必要があるかと。
そういえば、ザイクスの幹部・シリウスの社員って「無知だな」と思うことが多いし、有能な存在は難癖つけて引きずり下ろしますね。
元会員さんの多くは目を覚まして・・・その上で自分の力で前を向いて歩いています。
それは地味にすごいことだと思うのはワタシだけでしょうかねぇ?
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